2017/11/02

八月の鯨(1987)

本当はその前に1982年作成『Bladerunner(ブレード・ランナー)』を見たのですが
今日はそれはちょっと置いておいて、この『八月の鯨』について書きたいと思います。

90年代当時、Lilian Gish(リリアン・ギッシュ)とBette Davis(ベティ・デイヴィス)の
名女優2人が共演するという事で話題になった映画ですが私は観ていませんでした。
まだ若すぎたのでしょうか、なかなか触手が伸びませんでした。

ある程度年齢を重ねて来た人が観ると、
静かな感動を呼び起こすものがあるかもしれません。

それは過去に出会った誰かかもしれないし、
会った事のない先祖かもしれない。
もしかしたら、将来の自分かもしれない。

リリアン・ギッシュ演じる妹は素直な女性、
ベティ・デイヴィス演じる姉はちょっとひねくれている女性、
対照的な姉妹の老年のひとときを描いたものです。

静かで穏やかな海辺の少し上に建てられた木の家。
大きく開けた窓からは常に心地よい風が入ってくるようで
懐かしい、暖かい雰囲気です。
白内障で盲目になった姉を妹がひきとり、
頑固な姉にちょっとうんざりしながらも
ささやかな日常に幸せを見出して暮らしている妹。

変わりゆく時代を生き抜く2人のまなざしは
とても真摯で、時にユーモアがあり、
「戦争で・・・」と言うとすぐに「どの戦争?」と訊くあたり、
2度の戦争をタフに生き抜いたという事実が分かります。

ある女性が軽やかに言い放ちます。
「人生の半分はトラブルで
 あとの半分はそれを乗り越えるためにある」
この台詞は名言だと言われていますね。

私が印象に残ったシーンは2つ。
1つは、亡命貴族が姉妹と初めて対面する時です。
「おじぎを知る最後の紳士よ」と紹介されるのです。
昔は男女間の距離は今より離れていて
敬意と共に挨拶も行われていたのですね。

エレガントにおじぎをして座るこの亡命貴族の役は
Vincent Price(ヴィンセント・プライス)という俳優さんです。
『シザー・ハンズ』 で博士の役だった人ですね。
ちょっと出るだけでもすごく印象に残る人だから
他の映画も観てみたいのですが、
(私が一番苦手の)恐怖映画が専売特許だったみたいです。

姉に辛らつに言われ、気品のある紳士の表情に翳りが
そして妹と海を観ながら過去を振り返ります。
貴族だったとは言え、財産を少しずつ売りさばきながらの
流浪の孤独を背負った人生だったと。
妹が思う様な素敵なものでは必ずしもなかったことを
ほのめかします。
「貴方は本当にロマンティックな方ですね。」
そして月に照らされた海の輝きを観て
「あの輝きだけは決して手の入れる事の出来ない宝石です」

2つ目は、妹が結婚記念日にワインを飲むシーンです。
結婚してたった一年で亡くなった(それももしかしたら
戦争に行く前に式だけあげて形だけの夫婦になった)
ご主人との思い出を語る場面です。
庭に咲いた赤白のバラと赤ワイン。
キャンドルを灯して、綺麗なドレスでワインを口にする。
本当に粋(イキ)ですね。
私が注目したいのは、この時のリリアン・ギッシュの台詞は
女優としての彼女の想いを重ねたようになっていたことです。
「全てを貴方に見せたら、私の神秘性が無くなってしまう」
誰に向かって話しているのでしょうか。
彼女が尊敬していた映画監督に対してでしょうか、
それとも私達観客に対してでしょうか、

リリアン・ギッシュは生涯独身だったそうです。
人生を女優として生きた、潔い生き様。

役と本人の心が交差するような仕掛けがあって、
この脚本、このシーンは本当に不思議でした。

気難しい姉を演じたベティ・デイヴィス。
素顔も中々勝気な性分で他の女優を認めなかった
と言われていますが、
リリアン・ギッシュだけは心から尊敬していたそうです。
タイプは違うけれど映画に対する
熱い想いは一緒だったということですね。

私がすごいなと感心したのは、
気難しい姉に辟易しながらも
2人であの家に留まることを決意する
妹の心意気です。
否、どうしたってあのお姉さんは難しいでしょう!
これから先、自分も自由が効かなくなって
不安に思うことが増えてきたら、どうするんでしょうか。
でもあの段階で、妹は家を売らない事を決意する。
そして妹の意外な強さに感銘を受けた姉は
大きな窓を作る事を決意します。

大きな窓は象徴なんですね。
幾つになっても、美しい物を観たい、
『八月の鯨』を待ちわびてた少女の頃の2人は
年を重ねても人生に輝きを見つける。
美しいエンディングです。

最後、ゆっくりと長まわしで家の中を映すと
そこにはどこか知っている暖かい風景があります。
それはもしかしたら消えゆく良いものかもしれない
でももしかしたら、いつまでも残り語り継がれるものかもしれない

綺麗に吊られたカップやきちんと並べられた皿、
レースのカーテンにそよぐ海風、
磨かれてこざっぱりした気持ちの良い木の床、
どこか懐かしい、愛おしい気持ちにさせる家。


また時折この映画を観ては
自分の立ち位置を確認したいと思う作品でした。


















2017/10/28

ブレードランナー2049

Bladerunner2049、観て来ました。

昨日までのまったり感は否応無くふっとび、
凍てついた氷の世界へ・・・

前作のカルト的大作と比較して色々
評価されているようですね。
私は良くできた脚本で良かったと思います。
美しい音楽も『Inception』のハンス・ジマーでした。

私は基本的に怖いのが全然ダメなのですが、
意味のある怖さ、というか必要ならちゃんと観ようと
一応、努力はしています。
2Dで観たし(3Dだったら3回ぐらい気絶してる)
とにかく内容が良かったので頑張って観てました。

きっとこの筋書き、色々ネタバレになってしまうと
まずい点が沢山あるのでしょう。
ハリソン・フォードが来日してTV出演した時も
筋書き関しては全部内緒でした。

前作もそうだったんですけど、
主人公はレプリカント達。
ハリソン・フォードは主人公じゃなかった。
(だからルドガー・ハウアーに異常に熱が入っている
女の子達が彼に似た漫画を大量に描いてた。)
人間ではなくレプリカントへの敬意を感じる映画。

だから今回もレプリカント達のそれぞれの生き様を
丁寧に描いている訳ですね。
私はKが大切にしている
バーチャルな彼女の存在が印象に残りました。
何となく、象徴的なのですね。
ただのソフトウェア上の仮想空間にいる
癒しキャラだからいいんでしょうとは、
とても思えないような、切ない存在なのですね。
Kにとっては、
そこには皮肉にも人間らしい愛がこめられていて
切なくなるのでしょうね。
まるで犬を可愛がるような想いや、
大切な家族を守るような、
そんな優しい、暖かい想い。
天涯孤独なKの気持ち、
すこし分かるような気がします。
私だって、あんな妹ほしいですもん。

それとハリソン・フォード、すごいアクションでしたけど、
よく頑張ってました。
アクションの質がどうのこうの、というよりも、
演技なのか本当なのか分からなくて
別の意味でハラハラしました。
大丈夫かな、息あがってるみたいだけど、
なんて余計な心配しました。

監督さん、よく撮ったと思います。
こういうカルト的な人気の高い作品は
絶対と言って良いほど、厳しい批判を受けます。
でもそれを分かっていて撮ったのは
ハリソン・フォードが健在のうちに
どうしても撮っておきたかったからでは
ないでしょうか。

現代への警鐘を促す映画でもあり
沢山のメッセージとインスピレーションを
受け取ることが出来たような気がします。




























2017/08/18

自分の立ち位置

イギリスの俳優にRupert Everettという人がいる。
その人が数年前、あるリアリティ番組を一日で降りたという事が
話題になったことがある。

理由は「プライベートの顔まで撮られたくないから」
それなら最初からリアリティ番組に出る事を
止めても良かったのかもしれないけれど
思った以上に辛かったのかもしれない。

この事がきっかけで彼の態度に幻滅した人も
いたようだが、何故か私は彼の心境を分からなくも
ないな、と感じてしまう。

確かにそれなら最初から引き受けなくても・・・と思う節は
あるけれど、素顔を撮られたくない気持ちは痛いほど
分かるような気がしてならない。

イギリス人であるという事も関係しているのかもしれない。
以前、ヒュー・グラントが言っていたように、イギリスの俳優は
舞台から降りたらその役からすっと離れるものだとしたら
いつまでも回り続けるカメラにとまどいや恐怖を感じた
のかもしれない。
子供っぽく、我侭かもしれないその態度だけれど、
同時に、もし自分だったらやっぱり嫌だろうなと
考える。
この件を通して
彼は自分の立ち位置を知ったのではないだろうか。

今まで、時々彼の発言や態度に関しては
色々と聞いてきたから、
彼の人生はぶつかる事で課題を乗り越える
ような癖があるように思える。
だから人事とはいえ、ちょっと心配になるのかもしれない。

ちょっと人事と思えないような
彼のこだわり。

若い頃の彼は本当に綺麗だった。
画面に見とれてしまうほど美しかった。
流石に彼も年を重ねて
重厚な印象を与える役者になったけれど、
私は最近の彼の動向を
とても嬉しく思っている。

立ち位置を知った彼がこだわって作る作品が
オスカー・ワイルドで、
舞台がとても素晴らしかったという評判を聞いている。

彼の撮る映画が早く観たい。














2017/07/26

Dispicable me3

先日、『怪盗グルー』の新作を観てきました。
4Dで鑑賞出来るかと思っていたのですが、
全くそんな情報は無くて、結局通常の2D版で
大人しく鑑賞してきました。

『怪盗グルー』シリーズは今年に入ってから
ふらっと借りて観たものが内容がとても良かった
のでとても期待していました。
ですが、
シリーズ3作目いう微妙な立ち位置と、
ミニオンがグルー以上に面白すぎたことで、
今回の内容が果たして前作を凌げるかどうか
ちょっと疑問に思っていました。

これはどんな映画(TVシリーズも)に
言えることかと思うのですが、
3作目って、一番難しいと思うのです。
観ている人は物凄く期待しているから
製作者も、お客さんの反応が物凄く気になると
思うのです。
そういった意味で、色々な物を観て貰って
あらゆる年代の人に楽しんで貰いたい
と思っていたのかなと思います。

まずまず楽しかったです。
ミニオン達がスクリーンでうろうろしてるだけで
楽しいし、和みます。
ルーシーは結構好きなキャラクターですが、
今回はお母さんらしくなりたい、家族になりたいと
思って頑張っている様子が描かれています。
グルーはまるで本当の父親かのような貫禄があり
彼らは誤解や行き違いはあっても基本仲良しで
ずっと幸せに暮らすのだろうな、と思わせます。
ただ、1から観ていると、彼らの『ちょっと変な』感じが
無くて、 普通になってちょっと寂しいような気もします。
ストーリー展開に関しては、色々なエピソードが
多くてちょっと忙しく感じたように思います。
飽きさせないように一杯お話を詰め込んだのでしょうか。
これもこれもおつけして!の通販のような感じでしたから、
もっとシンプルにテーマを一本に絞っても
お客さんは十分楽しんでくれたのではないかと思います。

ミニオンのキャラクター設定ってなかなか難しいと思います。
あどけないルックスなのにすごく危険な存在。
悪気はないのに凶悪なスタンス。
ただ今回はミニオンの振る舞いに終始疑問を感じて
しまいました。

こういうアニメは難しいですね。
きっと製作者もかなり頭を抱えたことでしょう。
絶大な人気があるだけに、プレッシャーも
かなりあったのではないかと思います。

あくまでこれは、私個人の感想ですから
気になる方は1度ご覧になった方が宜しいかと
思います。

シリーズ中、作品として最も優れていると思うのは、
やはり1の『月泥棒』ですね。
あの意外性と、スケールの大きさ、人類愛、
コンプレックスの強いグルーが子供達と成長していく様子と
可愛くて面白いミニオン達のコントラストが絶妙で
何度観ても飽きません。

海外のサイトで『Minion Quotes』というのが
あるのですが、ミニオン達の絵の雰囲気に合わせた
格言がとても興味深いです。
その格言というのがまた、ハチャメチャで
観るたびに微笑んでしまいます。


前作までのシリーズに使われていた
Pharrel Williams やRobin Thickeの曲が大好きで、
ミニオンの歌と共によく聴いています。

ミニオンはそのルックスから見て取れるように
シンプルさが売りだったように思います。
黄色いゴムのお人形のようなのに
意外と手先が器用で、すごい団結力がある、
なのに
一筆書きで書けるぐらいのシンプルさ。

人は意外性に惹かれるのでしょうか。

そしてどうしても理屈で理解しようと考えて
しまうものでしょうか。

今回の映画については
色々な人が様々な意見を述べています。

ともあれいつかまた
ミニオン達に会いたいです。
















2017/07/21

DuranDuran

DuranDuranが9月に来日します。

ナイル・ロジャースも来る!と喜んでいたら
武道館公演のみなんですね。

Duran Duranはいわゆる『洋楽』というものに
のめり込み始めたティーン・エイジャーの頃から
よく聴いていました。

80年代の功罪というか、
あの余りにもキラキラ・ギラギラした音の世界は
少し眩しすぎて、
バブルの終わりごろには音楽シーンがすっかり
変わっていき、
グランジ、ファンク、などに移っていき、
私は無邪気にその流行を楽しんでいました。

Duranをまたきちんと聴くようになったのは
ここ最近、ダンスの振付を考えるようになってからです。
彼等のアルバムはとてもユニークで、
シングル・カットされていない
珠玉の作品を見つけることが楽しみになっていました。

彼等に関しては余り理屈っぽく考えたくなくて
今まで余り書いたり話したりしたことありません。


・・・サイモンが余りにも素敵だったから(笑)

昔、百貨店とかの特設コーナーに、
好きな写真を持っていくと300円ぐらいで
バッジを作ってもらえるサービスがあって
私はご想像通り、サイモンのアップの写真を
持っていったのですが、
顔が大きすぎてバッジいっぱいいっぱいになって
友達と店員さんが必死に笑いをこらえていました。


 サイモンは孤独な夜にふと現れる
中世の吟遊詩人のようでした。

Duranの音楽はとてもミステリーで
私は彼らの描く世界を通して
自分の夢を観ていたように思います。

サイモンの書く詩がとても不思議で、
ニック・ローズのシンセは聴いた事も
無い様な不思議な音色で
挑発的なギターやドラムが大人の世界を
感じさせてくれました。

ポップ・スターを堂々と演じ続ける
という潔さ

長い月日をかけて継続している事

尊敬しています。

また再び、夢を観させてくれるのでしょうか。



追記:もう随分前になってしまったが
Duranのライブに行った一週間後、
大阪のお好み焼き屋さんで豚玉を食べながら
サイモンが「この後食べに行くのかな
(みたいなニュアンスの英語で)
OKONOMIYAKI~!」と叫んでいたのを
しみじみ思い出していたら
 急にお店のBGMが
『Ordinary World(オーディナリーワールド)』
になりました。
なんというSynchronicity(シンクロニシティ)。
彼らは日本食大好きなんだそうで
大阪の食べ物にもとてもとても詳しかった。




















2017/05/25

Johnny Marr BSSライブ飛び入り参加

5/24、Broken Social Sceneのマンチェスターライブにて
Johnny Marrが飛び入り参加しました。

https://www.youtube.com/watch?v=nraA039SeZU

かなしいけれど、美しい旋律
もう何年も前の一人旅で見た
イギリスの風景を思い出します
マンチェスターへの想いで
一杯になりました


2017/05/21

正伝寺

正伝寺はデヴィッド・ボウイがとても気に入ってた禅寺。
他にも音楽関係者が好んでいらっしゃる場所だけれど
華やかさを求めていくよりも瞑想するために訪れるような場所。


  I have spread my dreams under your feet
   (あなたの足元に私の夢を広げた)
 Tread softly because you tread on my dreams
 (そっと歩いて、私の夢の上を歩くのだから)
  (from the poem "He wishes for the Cloths of Heaven" / W.B.Yeats)













2017/05/06

自分の目で見て何度も確かめること

先日、古本屋さんで古い音楽情報誌に載っていた
ライブ評を読んで驚愕した。
余りにもひどくて悪い冗談のようだった。

それはピーターガブリエルの1994年単独来日時のライブ評だったが
「彼はもうライブに興味がなくなったのではないか」
などと過去のライブと比較して彼の情熱が感じられないと論じ
「周りにいた私の知り合い10人もそう思っているようだった」と
論理は全体論に展開し、
「『ビコ』を観客と合唱する姿は、まるでナチスドイツのようでぞっとした」
とあった。

このレビューをその当時読まなくて本当に良かったと心から思っている。

私の家族は94年の彼のライブを観ているが、
パントマイムのような姿を影絵に
したりして幻想的な雰囲気があり、大掛かりなセット無しでも
十分楽しめたと言っていた。

実際、『Secret World Live』のDVDは非常に素晴らしく思えた。

人の感受性というのは本来言葉にならないものだ。
それは目の前を吹き抜けていくそよ風のように
頼りにならないものであり、詩神のささやきのように一瞬のものだ。

自分の目で見て確かめるということはとても大切だ。

気になる時は出向いていき、実際にこの目で見てみる。

私は彼のライブを目の前では観ていない、その代わり
それまでのDVDを殆ど全て繰り返し見て確かめる。

何度も観ているうちに伝わってくるものがある。

この時の彼の想いが。

皆に自分の作品を共有してもらえることの喜びを
心から感じていると思えるものは

時間が経っても色褪せない。

そして思う、どんなことがあっても

素晴らしい音楽だけが永遠に生き残る。

映画『オーケストラ!(Le Concert)』で
あのチェリストが語った通りの思いが頭をよぎる。

『今も美しいのは音楽だけ 言葉は汚い。言葉は嘘をつく』








2017/04/26

邪推は禁物

本当はどうでもいい事で
眠い目をこすってまで考えることでは
ないかもしれないが、
Kate Bushの『Hounds Of Love』を聴いていて
ふつふつと湧き上がって来た疑問があった。

結局、Kate BushとPeter Gabrielは何だったのだろう。

私の記憶でかなり鮮明に覚えている事実は、
80年代後半のインタビューで
Peterとの仲を尋ねられたKateの解答がこうだ。

「私達は、ふたりにしか分からない言葉を使って会話するの。」

君達は宇宙人か!

最近珍しくPeterがインタビューに応じた時、
80年代後半の話の中でKateの事が取り上げられていた。
それによると、『SO』以降、2人はしばらく会っていないのだと言う。
「え!本当ですか?あれ以来全く会っていらっしゃらないんですか?」
とインタビュアーも驚いていた。
「皆の噂ではKateはずっと前に埋められているとかいう話もあるぐらいで(笑)」

嵐が丘のキャサリンか!

とにかく、分かったことは二つしかない。

①仲の良かったころ、彼らはふたりにしか分からない言葉を使って
  コミュニケーションをとっていたという(宇宙人説)

②最近2人は全く会っておらず、Kateは埋められているという(嵐が丘説)
 

最近のKate BushもPeter Gabrielも
セルフカバー集を出したり、ライブを
行ったりしてかなり精力的に活動中である。

私はこのふたりにとても深い思い入れがある。

Kate Bushは、誰もその名前を知らない頃から
ラジオで存在を知り、その後よく聴いていた。
E・ブロンテの『嵐が丘』は小学校の時初めて読んだ
海外文学でキャサリンの想いを歌ったKateを
キャサリンと同一視して崇めていた。
 『The man with the child in his eyes (少年の瞳を持つ男)』
の歌詞に心酔もしたりした。
Kateの詩は正統派英語の前置詞のつけ方の
立派なお手本のようで大変勉強になった。
 
だからPeter Gabrielの『Don't Give Up』のPVを観たとき、
「よせ!今すぐ離れろ!」とは思わずに、
抱き合う姿を観てそれはそれは嬉しく思ったものだ。
まるで音楽世界における三位一体を観ているようで
この2人がそのまま恋人になったとしても
なんら疑問は感じなかったと思う。
今でもこのPVを観ると
幸せなふたりの姿を観ている彼らの母親のように
涙が溢れるのを止められない。

で、ホントのところはどうだったの?
そう思っている人は結構多い。
「彼らはなんかはあったんだろうね。一年後離婚してるから。」
「いやいや、彼らは非常に特別な友情で結ばれていたんだよ。」

とかなんとか。
人の事なのに気になってしょうがないです。

もう昔の話なのにね。

 『The man with the child in his eyes (少年の瞳を持つ男)』
のThe manはPeterだという説もあるけれどどうなのかな。
(邪推は禁物)
 



































2017/04/21

リバイバルという風潮

ある事情でオーディオ棚を動かす事になり
大量のCDとDVDを全部出さなければいけなくなった。
出し入れ時は手を止めないように、
出来るだけ目をそらして淡々と作業に打ち込んだ。
でもメデューサみたいに目が合うとそらすことが不可能なものがある。

Peter Gabrielの『Secret World Live』の事を考えると夜も眠れなくなって
ついに夜、魔がさしてトラックリストから好きな曲だけ見始めたら
琴線に触れる音の洪水に興奮して余計に寝れなくなった。

次の日家族の者にも半強制的に見せると
家族も「Peterの様子に迫力がありすぎて目がそらせない」
と、ぐったりした瞳を物憂げにまばたきしながらも
TVを止めることができない。

クライマックスに使われる『SO』からの『In your eyes』
いつ観ても素晴らしく心にフレーズの残響が残る。



ライブを見て思い出した。
彼に関するDVDは正規品では全部持っているのに
ライブ以外のCDを殆ど持っていない。

翌朝ラジオで『Sledgehammer』がかかる。
これはもう買いに行くしかない。
                                

翌日CDを購入しようと思って
ショッピングセンター内のCDショップをあたると
ピーター・ゲイブリエルのぴーの字もない。
餌を探す雀みたいに上下に動いている様子を
店員に不審がられる。
ショッピングセンター内では『Sledgehammer』が
私をあざ笑うかのように高らかにかかっている。


ぐったり疲れた体を引きずり、結局自宅でワンクリックで注文。
世の中のしくみが複雑すぎてついていけない。
 
これには滑稽な私事都合がある。
全部自分が悪いのだ。
実は『SO』は当時、発売と同時に購入したものだった。
バイトでためたお金で買う喜びを与えてくれたCDの一枚だった。
ところが私は彼のCDを売ってしまった。
大事にしていたものを安易に売った理由は
敢えてここでは書かない。

25年以上経ち、リマスター版も出ている中で
敢えて古いCDを購入した。
長い間個人が丁寧に保管していたものらしい。
中古のCDや映画パンフを購入するとき、
おおげさかもしれないが、
私は時折、前の持ち主から、
魂の一部を引き継ぐような気分になる。

ともあれ『SO』が長い月日を経て
この度我が家に帰還する。
これを私は
再会した恋人のように、
もう二度と抱きしめて離さないだろう。

Peter GabrielはStingと組んで
昨年ツアーを行っていた。
その動画を拝見すると
声が変わっていないのに驚く。
『SO』の頃に観て
激しい思慕を募らせたうるわしき姿
(この表現がもう80年代ジュネ世代)
ではないけれど
もしかしてこの人まだ青春を生きてる?
と思わせるような雰囲気が
(おじいのはずの)彼から醸し出されている。
Stingもひげを剃って若々しくなって
『Solsbury Hill』がとても声に合っていた。
                   

私はそれを観て割りと嬉しくなったけれど、
今の御時勢、高いコンサート代で
古いヒット曲を延々聴かすみたいなことを
やめろと思う人もいるみたいで、
賛成と反対がどうやら入り乱れている様子。

まあまあ、お子さんもまだ小さい事ですし、
頑張ってもう一旗あげたいところなんでしょうし
ここはひとつ、応援してあげては・・・
と思わず間に入ったら大変な目にあったりするかも。
(ガクブル)

それにアーティストの立場になって考えてみれば
自分の作品をもう年だしもうやめる、
と折角の名曲を封印するのは哀しすぎる事情だ。

私がPeter Gabrielをまた聴き始めた理由
それは彼が作る音に今でもときめくから。
そう、たとえおじいでも。
今でも彼の存在に心が有り得ない程高揚する。

『認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを』

そう、それでいいのです。

2015年に観たKing Crimsonのライブでは
私は何故か涙が制御不能だった。
何故、沈着冷静なバンドの完璧な演奏を観て
感情に走ったのか自分でも理解できない。

あれだけの演奏をした彼等にとって
『沈着冷静な』ことも『完璧』なことも
こつこつ積み重ねてきた結果だからなのか。

やっぱり今考えても理由が見つからない。

最後Robert Frippが会場を見渡して
ゆっくりお辞儀をした時、

わざと泣かせようとしているとしか思えなかった。

頼むから『日の名残り』のアンソニー・ホプキンス
みたいな姿で前に立たないでくれ。

周りはおかしく思うだろう。
プログレを聴いて泣いてる女なんて
危険極まりない存在だと思われないか。
辺りをそっと見渡せば周りの女性はそっと
涙を拭いていた。

ああ、やっぱり、あなたもそうなのね。
理由なんて見つからなくていいのよ。


『僕は16歳で
周りは当然現代のポップを聴いてて
まあ好きだと思う曲もありますが、
僕はちょっとおかしいのかもしれないけど
この曲に心から感動しました。
この時代の一曲の中に
与えてくれる感動の
深さ(depth)に心から惹かれます。』

これは『In your eyes』の
歌詞を載せた動画のコメント欄に
載っていたもの。
それに対し、お姉様が
『全然おかしくないわよ!
この頃の曲に深い感動があるのは
ただただ、アーティストが
純粋に想いをこめて
曲作りをしていたからなのよ』
と優しくコメントをあげていた。


今でもきっと、純粋なアーティストは
大勢いるに違いない。
アーティストの意向が純粋に
反映されたアルバムが
もっと出てくればいいのにと思う。

それでこそ、リバイバルという風潮が
新しい潮流になって人々の心に
染み渡るのではないかと思う。

そんな時代がやってきてほしい。

追記:King Crimson、もうこれで最後かもしれない
   と思っていたらもう一度来日されました・・・
   しかも中休憩入れて長時間に及ぶ演奏・・・
   フリップ先生はさらにまた生徒さんを集めて
   いらっしゃるそうで、本当にお元気そうで
   奥様とも仲が良くて、何よりです。
   












































































2017/02/27

ペット

先週、準新作になっていたイルミネーション・プロダクション製作の
『ペット』を借りてきました。CMなどで見かけた、
「ご主人のお留守の時にやりたい放題やるお気楽なペット達」
の映画かと思ったら、これが結構深くて、それに怖かった。
優しい飼い主と暮らす主人公の犬のもとに、
新しい犬が来ていじめられるのかな、と
思うと次はその新しい犬ともども、街角のワルい野良猫たちに痛めつけられ、
かなり悪い猫だなと思っていると、次には保健所の職員が現れて、
野良犬と間違われて捕獲されてしまう。
悪者がどんどん入れ替わっていき、家からどんどん引き離されてしまう。
この映画を観ていて、もしも子供が、「なんでこうなるの?だれが悪いの?」
って聞かれたら、大人は一瞬言葉につまるのではないでしょうか。

人間から愛されなくなって不要物になったペット達の
愛憎入り乱れた複雑な感情がとてもリアルに表現されていました。
特にウサギは名演技。愛されなくなったウサギなんて、
私は初耳でしたが、捨てられたウサギの狂い方は半端なく、
「ちょっとヤバイぞあいつ」なんて陰で言われている。

アニメに迫力があり、最後はとても感動的でしたが、
でもイルミネーションって会社は、それだけでは終わらず、
最後の『おまけ』もちゃんとついてきます。
人は 『おまけ』に弱いって事、よく分かっていてそのツボをついてきます。
少なくとも私はおまけに弱いので、それを楽しみに観ていたりします。

個人的にはミニオンコスプレが可愛すぎました。

この映画を観て、色々考えさせられました。
ペットをマイノリティ(少数民族)と考える事もできるかもしれません。
可愛らしいアニメに余り深堀りしたくはないのですが、
社会的弱者を主人公にして、子供だましではない
力強い何かを感じさせてくれるように思います。

容赦ない残酷さもきちんと描いていることでジョン・ラセターの『バグズ・ライフ』をちょっと思い出しました。

それからアニメはいいですね。
ミニオンズ関連作品を愛でるようになってから、
本当に久しぶりにアニメを観ていますが、
とてもシンプルな表現と美しい描写を観て
子供時代を思い出すような感動が再び蘇ってきました。







2017/02/20

ミニオンズ

カンバーバッチちゃんの話の直後に書くのもなんですが、
最近とても好きなのが『ミニオンズ』。
バナナの好きな可愛い謎の生命体。
他の人よりも4-5年ほど遅れてブームがやってきました。
3作の中で、2015年の『ミニオンズ』が脚本・アニメ共に
最高だったと思います。

どこかどう最高だったのか?
それはこの映画を観ている間は
完全にミニオン達のペースに巻き込まれて
しまうところです。
時代は1968年。サイケとロックが全盛期の
フラワームーブメントまっさかりのロンドンです。
神経が少し麻痺するようなちょっと悪い雰囲気が
ミニオンの存在意義とよく合っています。
60年代ロックが沢山BGMで流れますが、
全ての曲がサントラに入っていないのが残念ですね。



印象的な曲とかかる場面をリストアップしておきます。

Happy Together / The Turtles
(ミニオン達が水中で増殖していくシーン)
19th Nervous Breakdown / The Rolling Stones
(ケビン達がニューヨークに上陸するシーン
 ショッピングモールの中でもBGMでかかっている)
 I'm a man / The Spencer Davis Group
(ウォルター一家の強盗シーン)
Break on through to the other side / The Doors
(オルランドの "Villain-Con"(大悪党大会)へ入場するシーン)
Purple Haze / Jimi Hendrix
(スカーレット・オーバーキルの家で
 スチュワートがギターを見つけるほんの一瞬のシーン)
*Hair / Musical song
(催眠術にかけられた警備員が踊る)
You really got me / The Kinks
(手足がロボ化したボブが暴走する馬車を止めようとする)
My Generation / The Who
(ボブの演説後、3人が宮殿で遊びまくるシーン
ちなみにスチュワートが愛する消火栓は
クレアとティファニーという名前)
Got to get to into my life / The Beatles
 (グルーとミニオンが仲良くなるシーン)
Mellow Yellow / Donovan
(その次の曲)
*Revolution / The Beatles
 (ケビン達3人が演奏して歌うシーン)

このうち、*のついた曲はミニオンによる替え歌に
なっています。

映画内では使われていないのですが、
トレーラーで使われているのが
Under Pressure / Queen & David Bowie
です。


7/21公開の、邦題タイトルは、
『ミニオン大脱走』とか。
もしやスティーブ・マックイーンの
The Great Escape(大脱走)』が
モチーフになっているのでしょうか?
ともあれ、
下敷きとか、ボールペンとか、
無駄に買わないように心がけなければ、
出費はもとより、家中がミニオンズに征服されてしまうかも。
でも、リアリティ・トランサーフィンの振り子の法則で
こんな事言ってる段階で既にミニオンズに振り回されてるかも。

可愛いから仕方ないか・・・
 




*ミニオンズの名前
  少しは分かるようになりたいと思うのですが
  ボブケビンスチュワート等、
  主要なメンバー以外、未だに判別がつきかねます。

  Names of minions and descriptions with individual pictures.
  http://www.minionsallday.com/minion-names-and-descriptions-with-individual-pictures/

  上のページは画像付きで、丁寧に解説をしてくれています。
  英語もそれほど難しくありません。
  映画のどのシーンに出てるなど詳しく分かって便利です。
  途中で風貌が変わっているミニオンもいて、
  さらに同名の別人(別ミニオン)もいることなどから、
  それが判別を難解にしている理由のひとつかと思われます。

  とりあえず、
  
  いつも遅れてついていくのがノーバート。
  
  1で、スチュワートや3人の女の子とトイレットペーパーで
  悪ふざけしているのがジェリー
  でも2のジェリーは優しくて臆病、子守唄歌ったりしてる。
  1と2のジェリーは別人?
  
  1で液体飲んで宇宙に飛んでいくのがボブ、でも3では
  色違いの目が2つあって王様になるのもボブ。
  これも別人?
  
  1でスチュワートと一緒に紫ミニオンになりすまして
  グルーをおとりにするのが2つ目デイブ。
  スチュワートとデイブは仲が良いらしい。
  
  カールは丸い2つ目。つんつんヘアー。
  ティムとジョンと長さで競い合っているのに
  2では1つ目で火事のアナウンスをしている。
  別人?
  
  ティムはケビンと激似していてひげをつけてY.M.C.A.を歌っている。

  マークは1で金髪カツラとピンク系の花柄着てスーパーでカラオケしてる。


  トムは可愛らしいメイド服でお掃除してるミニオン。
   

ドクター・ストレンジ

『ドクターストレンジ』IMAX 3D版で観てきました。

『イミテーション・ゲーム』を観て以来、
我が家でも大人気のカンバーバッチちゃん。 何故ヒーロー役になったのか全く謎でしたが、
本編を観て納得しました。

 彼は本当に芸達者な役者です。

今までの認識を遥かに超える体験をさせられて
宇宙の彼方まで吹っ飛んでいくゾーンを体験するシーン。
ギャアギャアわめくカンバーバッチちゃん。
その後、しゅんとなり、『弟子にしてください』と言うも
無下にドアから叩き出されるシーン。
ザアザア泣きながらドアを叩くカンバーバッチちゃん。
その後、不意にドアが開き、
反動でごろんと体が部屋に転がるシーン。

その後の戦いも、本当に大丈夫なのか??と
疑惑を禁じえないようなひ弱さ。

私は失礼ながら、椅子が揺れる程、笑ってしまいました。

 『イミテーション・ゲーム』でも何となく、ハの字眉で悲しげな彼を観る度、
「情けない感じの演技がぴか一な男優」
としみじみ感じ入っていましたが、
あんなに情けないとは思いませんでした。

じゃあそんなんでラストどうやって解決するんだ?
と思いますが、この情けなさを最後まで引っ張って
いくやり方は非常に斬新だったと思います。

情けなさ、弱さを通して何故か強さを感じる役者。
カンバーバッチちゃん。


ハムレットとか演じる事が出来る英国俳優なんですよ。
ようやるなあ・・・と思いましたが、 この作品も
素晴らしい役者が勢ぞろいしていて、
ただのアクション映画ではありませんでした。

レイチェル・マクアダムスは『アバウト・タイム』の
主人公の奥さんを演じた人が一番有名かな。
(『ミッドナイト・イン・パリ』にも出ていたのね。どこ?)
『アバウト・タイム』の前髪切りすぎた可愛い感じよりも
少し大人になった雰囲気でしたがそれでもやはりかわいい。
私が男性ならこういうタイプとお付き合いしたいと思う。
と、勝手に考えてしまいそうな位、かわいい。
まだどこかあどけなさが残る女医さん役で
献身的かつコミカルな演技が光っていました。
カナダ出身なんですね。
カナダ出身と言えば、カーリー・レイ・ジェプセン。
2014年にライブを見ましたが、カーリーたんも可愛い。
日本人に自然に受け入れられる母性的な感じの人
が多いように思います。
後、アラニス・モリセット、アブリル・ラヴィーンなど。
カナダ人の知り合いが昔いましたが、
とにかく優しかったです。
ニュージーランドとかオーストラリアの人達と良く似た
隣人愛に溢れた素朴な優しさが光っています。

・・・余計に語ってしまいました。

モルド役のキウェテル・イジョフォーは
『ラブ・アクチュアリー』で、芸術家の友人役で
芸術家が恋している女性と結婚する役でした。

そしてティルダ・スウィントン、
『オルランド』ちゃんと観ていないのですが、
その当時、女性誌などで女性と男性を
経験する役で話題になった方です。
今度機会あればきちんと観てみたいと思います。
ちょっと中性的な感じで、私はつい
西遊記の故・夏目雅子さんに見えてしまいました。

原作もきっと、多くのクリエイター達に
影響を与えていることでしょう。
スタートレックやスターウォーズ的な
場面も見受けられました。

様々な人種が登場し、世界観を広く取った映画ですが
ちょっと特殊なタイプの物語だから、
イマイチスカッと感が足りない人は物足りないかも
しれないですね。

私はちょうど、というか、自分の中で思うところがあって
ダンスの他にも気功をやろうとか、思い始めていた時でしたし、
ヒーラー、アストラル体など、ちょっとスピリチュアルな用語が
飛び交っていて、興味深かったです。

この映画はそんな人生の節目にたった人が見ると
また違って見えてくるかもしれません。

映画の最後は、
なんかもう、2が半分以上始まっている感じですね。

2も観に行ってしまうかもです。

ところで、エルドリッチ・ライト(Eldritch Light)
の魔法円の図形が、最近購入した髪留めの
デザインに酷似していてびっくりしました。


2つ買っておけば良かったのだろうか・・・
まあ別に、今のところ戦う予定は無いのですが、
アガモットの目を買って、首にぶら下げて、
片手に髪留め、もう片手の人差し指でぐるぐる回したく
なる衝動に駆られます。